「仁王!おはよう!うんこ!」
「……朝から最低やの」
気だるそうにこっちを向いて、嫌悪感をくっきり顔に刻んだ仁王にニヤリと笑ってやる。
うんこは駄目だった?とか、馬鹿みたいな会話をしながら部室へと歩く。
そんな私に、まるですこぶる機嫌が悪いんですと言わんばかりに眉を寄せて口を結んだ仁王。まったくこの男は。
朝から何がお前そうさせるの?なんて思いながらも、うんこうんこと連呼してやれば、流石に仁王も絶えかねて私を殴った。
痛いよ馬鹿!
「ねえねえ聞いてる?」
「聞いとらん」
「いや聞いてんじゃん」
そう言うと明らかに眉間の皺が濃くなって。もう!一体なんなのさ!お前最近おかしくない!?
ワザとらしく頬を膨らましてやれば、おまんは…、なんて呟いて、諦めたようにやめた。
だからそういうのが一番気になるってのがなんで分かんないのかな。これがペテン師だとかふざけた呼び名がついてんだから、まったく分かんないもんだ。
「仁王。ねえ、仁王。にーおー」
「うるっさい!!」
「へぶしっっ!!」
いきなり女の子の顔を殴るなんてのはどうかと思うよ。うるさいからって、いくら私でも理不尽だって。
そう言えば、理不尽やなんて言葉知っちょったんか、感動しただって。まじで?へへ…って馬鹿にすんなよ!
私がぷんぷんと少し大げさに怒れば、仁王は口と目をほんの少し緩ませて微笑んだ。あ、私この表情好き。
「なに呆けた顔しちょるんじゃ」
「え?してた?…じゃあ多分そこの窓に映った私が可愛すぎたからだよ」
「死ね」
「またそういうこと言う…。仁王のくせに」
「俺のくせにってなんじゃ」
「だから仁王の…」
「ちわーっ!あ、先輩!」
仁王と言い合いをしていると、前から元気な挨拶。もうテニスコートに着いたのかなんて、声の方向に目を向ければキラキラ笑顔の後輩。
おはよー赤也。今日も朝から元気だね。そう言えばニカッと緩む表情がなんとも可愛らしい。
それでなんだっけ、えーっと、ああ、仁王。話の続きだったよね、と思い仁王を見れば、またいつものつまんなそうな表情。
最近こんなんばっか見るなあ。気分屋だもんな。まったく面倒臭い男だな。
「仁王、何怒ってんの?」
「怒ってなか」
「いや怒って…って、ちょ、にお…!」
ちょっと!話の途中だよ!どこ行くのさ!なんて思ってる私のことなんか知らんぷりで、仁王はズンズンと部室棟へ歩いていく。
えぇ〜…?なんなのアイツ。
不思議そうに不可解そうに仁王を見つめる私の横で、赤也もおんなじ表情で仁王を見ていたもんだから。え?私こんなぶっさいくな顔してた?とか、くだらない。
「ねーねー柳」
「なんだ?」
「これなんだけどさあ…」
放課後のテニスコート。騒がしくなった校庭の片隅で、気合の入った声が飛び交う。王者だってんだから、練習量がハンパじゃなくて。
つまりは私の雑務もパンパじゃなくって。ああもう、こんな面倒臭い役引き受けるんじゃなかったな。
気だるげにそう思いながらも、残ってる事務仕事を終わらそうと動く。
こういうのって柳の仕事なんだけどなあ…。とか、ぶつぶつ言っても始まんないけど。
「聞いているのか?」
「聞いてる聞いてる。あれだよね〜。面倒臭いよね〜、マネージャーって」
「聞いていなかったんだな…」
「うん。まあそういうことになるね」
そういうことしかないだろうと眉を寄せて言う柳ったら!続けて私に事務は向いてないだなんて分かりきったことを言ってさ。
そんなこと最初から分かりきってたよとクールに言ってやる。殴られたけど。
すぐ殴るよね、テニス部は。なんてズキズキ痛む頭をさすると、それまで不機嫌そうな表情をしていた柳がふとコートを見た。
ん?どうしたの?
「…マネージャーの本質的な仕事は、」
「げっ!…うん、もういいよ。分かったから」
そう言うとまた脳天に一発。
「っ痛いよ!!」
「何が分かったんだ。言ってみろ」
「いや、話が長くなりそうなことが」
また一発。
もう!おんなじとこばっか殴んないでよ!馬鹿になったらどうすんの!
そう怒る私に、もとから馬鹿になってしまう部分などないだろうだなんて!可愛くないにも程がある!
面倒臭い言い回しばっかしてさ!だからさっきも聞きたくなかったんだよう!
「黙れ愚か者。まあ聞け」
「…私人生で初めて愚か者って言われたよ」
「聞けと言っているだろう」
「もー…、なんなの?」
しぶしぶそう言えば、またコートを見る柳。またもったいぶって。
私が不服そうな目で柳を見ると、柳はちらりと視線を私にやってからもう一度戻した。お前も見てみろって。
戸惑いながら同じ方向へ視線を向けると、ああ、なんか妙なヤツがいるなあ、だとか。
「仁王!!」
「っっ!…な、なんじゃっ!!」
「呼んでみただけ!」
「っ、お、まんは…!」
怒りを露にする仁王にニヒッと笑ってから、もう一度柳を見た。
すると柳はもう分かったろう?なんて。とんでもない話の仕方なんだから。これだから頭のいいヤツはさ。
今度は柳に笑いかけて、私はコートを後にする。するとそんな私に驚いた柳がオイッ!って。もー、分かってるよ。
マネの仕事の本質は、色んな意味が含まれた『選手の管理』でしょ?でもそれを練習中にするほど私って馬鹿じゃないの。
そう言えば、驚くどころか心配そうにする柳。お前…熱でもあるのかって。どういう意味!
「まあ、後はお前にまかせる」
「うん。私もさ〜最近気になってたんだよね」
「そうか」
短くうなずいた柳に別れを告げてコートを出る。さてと。
面倒臭くったって部活が終わるまではきちんと仕事をこなさなきゃ。うん、私ってえらいよなあ。
そんな思いは、真田の終了を知らせる声でかき消された。本当元気だなー。
それでも部活が終わった喜びに、軽い足取りで部室棟に向かう。そこに一つ。疲れた背中が部室棟からひょっこり。
迷いなんて微塵もなく、私はその背中にタックルを決め込んだ。ぐえっ。蛙みたいな声を出してよろける。
「お疲れちゃーん」
「………はぁ〜…、お前さんのせいでどっと疲れたぜよ」
「またそんなこと言って」
ワザとらしく頬を膨らましたりなんかして、仁王の下がった肩と並んで歩く。
今日も疲れたね、だとか、月並み。それでも仁王は興味なんてなさそうに口を噤む。はぁーもー仕方ないな。
「仁王。今朝さ、最近おかしいって話したじゃん」
「……そうじゃったかのぅ?」
「へたくそー」
「…なにがじゃ」
「ごまかし方が」
「…………。」
「また黙るし。まったくなにがそんなに嫌なの。…あれ?私?私か?」
「…………。」
「えーっ!ちょっと待って!それなら泣きそう!」
「…はっ、」
短く自嘲気味に笑う仁王。なんでちょっと苦しそうな顔してんの。ねえ、最近本当変だよ。なにかあった?私、何かしたかな?
言いたいことは色々あるのに、どれから言葉にしたらいいか分からない。どうしたもんかなーとか、言葉を選べるほど器用じゃないのにさ。
「仁王。私、仁王といると面倒臭いよ」
「…っ!!」
「正直ね。でも、なんでか一緒にいたいんだよねー。自分と正反対だからかな?」
「………さあ、な」
「だからさあ、一緒にいて、色々知ってきたつもりなわけよ」
「……ああ」
「例えば、私なんかどうでもいいって振りしたりするくせに、でも2人の時は素直じゃないなりに仁王だったり」
「…仁王だったりってなんじゃ」
「え?なんだろう、うーん…、仁王らしいっていうか、仁王ですっ!みたいな…?」
「…なんじゃそれ。お前さんは本当国語能力なか」
「うっさいよ!とにかく、仁王が自分を出してるっていうか、なんかそんなんなの!」
そう言うとぴくりと揺れる仁王の髪。ほらね、当たってた。
実は知ってたりするんだよ。仁王が私に信頼ってやつを置いてくれてたりするのも、天邪鬼がどんどん素直になってきてたのも。
でも、最近はまた素直じゃなくなったんだもん。みんなの前じゃ、こんなやつって、つまんなそうに見てさ。
ほら、仁王が息を呑む。全部当たってんでしょ。なんで何も言わないの。ねえ。
「なんなのもおおおおお!!」
「っ!?」
「私が!仁王のそういう面倒臭いとこ全部包み込んで、宥めてやれると思うなよ!」
「なっ…!」
「私が!悲しいとか、そういうの感じないヤツだと思うなよ!!」
「……!!」
「あと、私が!面倒臭がりじゃないとか思うなよ!」
「それは知っちょる」
「だよねー…」
なんだか妙な敗北感。なんで知ってんだよーとか、今更すぎてなんとも言えない。もう!私って馬鹿!
言いたいことは言えたはずなんだけど、なんだろう、なんか言ってない気がする。あ、そうだ。今朝だって。
「そういや今朝、なんか言いかけたじゃん」
「…―〜〜あ、あれは!…お、おまんまだ覚えとったんか!しつこいぜよ」
「うっさいぜよ!動揺を悟られたくないからって大きい声だすな馬鹿!」
「出しちょらんじゃろが!!」
「ハァ!?今日だって部活ん時私が叫んだらビクついて、それ隠すためにわざと大きい声出したくせに!」
「だ、出しちょらん!!つーかさっきから話逸れとるし!関係なくね?!」
「ないね!」
ゼエ、ハア、と荒い息を整えようと、酸欠気味の表情をした仁王が膝に手をつく。
そうそう。仁王なんだから、そうじゃなくっちゃ。深刻そうな顔なんて似合わないったらないね!
私がそう笑い飛ばしてやると、仁王も疲れたように微笑んだ。ああ、そう。私この表情が見たいんだよ。仁王の唯一の優しい顔。
嬉しくなってニコッと笑ってやれば、仁王もはァーっと息を吐いて、俺の負けじゃなって。なにを今更。
「いいか、よぉ聞いときんしゃい。一回しか言わんけぇ」
「おうともよ!」
「…お前さんふざけとるじゃろ」
「ふざっ、ふざけてないよ馬鹿!!もとからこんなんなの!」
「ハハッ」
あ、久しぶり。
「…何笑っとるんじゃ」
「いや、嬉しくなっちゃって。へへっ」
「…くだらんことで喜べるんじゃの」
「知ってる。すごいでしょ?」
「馬鹿」
「それも知ってる」
「好き」
「うん、それも知ってる」
すると仁王はぽかんと呆けた表情をする。おお、なんか今までにない呆け方だな。心底驚いたんだって、そんな感じで。
へへっ、私だって仁王のことは大体知ってるよ。もちろん仁王が私を好きなことだって!
…私を…好きなこと…、だって…?
…うん?私を好き?
…え?……ええっ?
仁王が?私を?…スキ…?
「…………っっ!!?」
「…………っ!?」
「えっ、えええええっっ!!?」
「なっ、なんじゃおまん!知っとる言うたじゃろが!いやそれもどうかと思うが!」
「いやっ、それはっ…、ていうか…っえええええ!?」
な、ななななななにこの展開!驚きすぎじゃろって、そりゃそうだよ!驚かない方が無理だって!
混乱でぐるぐるしている私なんかお構いなしで、仁王は短く息を吐き出すと、私の頬を抓った。あ、照れ隠し。
「そんなに…驚かれると流石に……傷つく」
「うひぇ…、ごふぇん…」
「何言うとるか分からん」
「ほへは!ひほうはほっへはひっはっへふはら!!(それは!仁王がほっぺた引っ張るから!!)」
「あ?ほっぺた…?あ。ああ、すまん」
ちょっと焦った様子で急いで手を離す仁王。なんだ、自分じゃ全然分かってないんだもんな。
それでもちょっと顔を赤らめて呟いた仁王が可愛くって、そんなこと思う自分が妙に恥ずかしくって、痛がるふりして隠してみたり。
あーあー!こんなん私じゃない!なんてね。
でも仁王ってばそんな乙女な私にも気づかずに、バツが悪そうに地面に足を擦りつつ呟く。
まあ…、そういうことじゃけぇって。どういうことなのさ。
顔を隠したままそう問えば、仁王は更に顔を赤くして眉を寄せた。そしてそのまま私の頬を手のひらでギュっと押さえる。
ちょっと!私多分今すっごいぶっさいくな顔してんよ!?
ムキになれば、ハハッって笑う仁王。あ…、またそうやって。
「そのまま聞いとけ」
「にゃんで!!」
「…このままじゃったら、お前さんが何言うとるか分からんけぇ、…駄目でも…ショックは受けんじゃろ…?」
「……にゅおー…」
「…ハハ…、あー…、情けな…」
「…ひってゆ」
「黙りんしゃい。まったく、この雰囲気のなかそんなこと言えるなんての」
「…ふぅじへんひゃん…(…通じてんじゃん…)」
「……そうじゃの」
そう言って優しく笑った仁王の目に映る私が、なんだが妙に女々しくって、女の子みたいで、自分でびっくりした。
だって、そんな顔されたら、なんて。そんな考えが自体が乙女みたいで。なんだか酷くむず痒いもんだから、ちょっと照れてしまったり。
それでも目の前の仁王は今までになく真っ直ぐに私を見つめてくるんだから。ああ、これはもう逃げ場なんかない。
仁王が私の頬を離して、今度は肩を強くつかむ。痛いよ、なんて言えなくて、じっと仁王を見つめ返す。
「もう、逃げるんも素直にものが言えんヘタレも、やめる」
「…仁王…」
「、」
「…なに」
「…俺は…立海に入って、お前さんに出会った。そしたらお前さんがうるさいくらい四六時中、所構わず構ってきて、」
「……うん…確かに…」
「ハハッ…でも、お前さんと喋るたび、関わる度に、……惹かれて…、いって…、」
「………うん…」
「じゃから…、…要するに……、」
「…………。」
顔を真っ赤にさせて、視線を逸らして。もう!私が覚悟決めたってのに!ヘタレはやめるんじゃなかったの?なんて、思ったら少し笑えてきちゃって。
すると仁王は笑うなと言わんばかりにキッと私を睨んで、更に強く肩をつかむ。さっきよりも真っ直ぐな目に何も言えない自分が照れくさい。
少し顔を赤くさせた私を見て冷静さを取り戻したのか、安心したのか、仁王は力が抜けたように柔らかく微笑んだ。
わ…、そんな顔…、初めてみた…。
びっくりしてまた熱くなった顔を隠そうと下を向くと、もう一度名前を呼ばれた。
って。とんでもなく優しい声で。
「に、おう…。あ、の…」
「なに?照れちょるんか?」
「て、照れてないけど!?」
焦って言い返せば、我慢するように喉で笑う仁王。
ああ、もうなにがなんだか分かんなくなってきた。仁王ってこんなんだったっけ?
「、」
「…うるさい」
「ハハッ…、…、」
「…―〜〜っなに!」
時が止まったってきっとこういうことを言うんだ。
ああ!神様!これじゃまるでおとぎ話だ!
「好いとおよ」
仁王の優しい微笑みと、それには随分不釣合いな真っ直ぐで熱い目に射貫かれたように、私の体はぴくりとも動かなかった。
だけど顔の火照りってやつはどんどん熱くなって。このまま溶けてしまいそうだというのだからとんでもない!
そんな私を見て笑う仁王が妙に憎らしくって、仕返しだって言わんばかりに叫んでやった。
聞け!意気地なし!!
「私もだよ!!」
吹き抜けた風で舞い上がった前髪のおかげで見えた仁王は、夕焼けなんかじゃ太刀打ちできない程の紅だった。
ざまーみろ!
赤い天邪鬼に愛を!
(……真っ赤じゃ)
(どっちが!!)
あとがき
なにこの仁王めんどくさい^^
なんだか仁王の口癖というか、方言を忘れた気がします。
でもこの雰囲気でピヨとかナリとか言ったらお前はトマトかになりますからね。(日和参照)
それはいただけない…。
大変遅くなりましたが、Tenさまに捧げます。
20110602 麦銀
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